コロナの記事を書き続ける理由  2022.7.25



小さいときは家が長屋(社宅)だったし、父が開業してからは借金をして病院を建てたので生活に余裕はなかったと思う。

当然家に車は無かった。 医者の息子と言うので、よく弁当の中身を覗きに来るやつがいた。 弁当一面にきらずが乗ってたので、

あーっ、ウサギの餌食べてらって笑われた。


秀才だった兄が医者にならなかったので、私も医者の道は放棄した。 弟だから、兄を出し抜くことはいけないと信じていた。

以前にも書いたけど、父が医者になった理由は結核を世の中から無くしたかったからだった。

だから、家は代々医者の稼業ではない。 父は母を幼い時に結核で亡くし、父を大学の時に結核で亡くしている。

そんな事実を知ったのは、私が20歳をとうに過ぎてからだった。

もっと早く言うべきだったと、今でも思っている。


人生なんて、思うように行かない。 思い違いもあれば考え違いもある。 そんな誤解の塊が、人生を変えてしまう。

色々な仕事に就いたけど、家が病院だと話したことはなかった。 経緯を説明するのも嫌で、隠し通した。

医者にならなかった兄は数十年一人で北海道にいて、家に戻り老いた母の世話をした。

そんな母も亡くなり、5年後に兄も急逝した。 


どうか皆さんは病気を甘く見ないで頂きたい。 医者や看護師は、多くの人が使命感を持って働いている。

今この時にも、コロナと戦うために尽力している人がいることを忘れないで頂きたい。

父は両親を結核で失ったけど、今は結核で死ぬ人は少ないと思う。 死ななくて済む命がどれだけあったのだろう。

感染症は人の人生を狂わせてしまう。 

どうか政府の皆さんは、コロナから決して逃げずに戦って頂きたい。

今の世の中は、多くの犠牲の上に成り立っている。 そんな犠牲は無くしたい。


このコロナ禍になって、つくづく考える。

もしまた生まれてくるのならば医者になろうと。



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