城の名称の小学校が151年目に   2026.4.17

大館市立桂城小学校 


全国数多に小学校はありますが、151年も廃合されず存続している小学校は

数パーセント以下と言われています。 限りなくゼロに近いとも。

 

大館市立桂城(けいじょう)小学校は、現在は当初より移転されていますが

当初(=城跡)に84年建っていました。公園に整備するにあたり1874年数キロ離れた

水門町に移転し151年を迎えます。

 

何でこんなところにあるのに「桂城小学校」なのだろうと子供ながらに思っていました。

桂城は桂城(かつらじょう)(=大館城)のことだったのです。

 

戊辰戦争で1868年城は無くなりましたが、1874年その跡地に
中城学校(=現桂城小学校)が建てられました。現在地大館市中城には大館市役所が建ち、
高台にある公園となっています。

秋田県には他と違い、3つの城が認められていました。

秋田と横手、そして大館です。大館は北(=弘前)と南(=盛岡)の要衝でしたが、

戊辰戦争で盛岡軍に攻め込まれ、城主が自ら城に火を放ち城は全焼しました。

その後秋田より援軍が来て盛岡軍を蹴散らし、現在に至っています。

大館城(=桂城)は1556年から消失の1868年まで312年間続きました。

 

 

現在の桂城小学校の全児童数は212人。 多分に当時とは6分の一位じゃないかと思います。

10年後20年後は、存続危機になるかも知れません。

 

1868年城は消失していますので、大館市に城があったという事を知る人は少ないです。

ただ市内には昔からの名前が数多く残されています。

中城 三の丸 鉄砲場 長倉町 鍛治町 大町 馬喰町 などでしょうか。

 

一国一城の掟が除外された理由は、広すぎて統治が出来ないからとされています。

青森県とは130年間に渡る、十和田湖境界線問題がありました。

また弘前と大館には矢立峠の境界線問題などもありました。

 

もう大館市には城は有りませんが、城を名乗る桂城小学校があるのは素晴らしいことだと思います。
大館市の将来は、この子たちによって委ねられるのかも知れません。

是非とも末永く存続していただきたいと思います。

 


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