いにしえの名画「追憶」をDVDで見た


実は映画の追憶もそうなのだけれど、有名な主題曲「追憶」は知らなかった。いや、知らなかったのは題名だけである。

バーブラストライサンドのスター誕生・・・エバーグリーンという曲が好きになりピアノ専用の楽譜を探していたのだが、スター誕生の楽譜は既になく
どの映画音楽の楽譜を探しても、もう既に廃盤で「追憶」だけはどのスコアにも乗っていた。
その時に、どんな曲なんだろうと思っていたのだ。

映画音楽のCDを購入し聞いていたら、何やら懐かしい曲が・・・・。それが追憶であった。
いや、知ってましたよ勿論。目から鱗が落ちるとはこのことであった。

まあ、それでレンタルビデオ店に行き借りてきたと言う次第。
借りる前にネットであらすじなり視聴者の感想をひととおり調べたので、思いのほか感動は少なかった。
バーブラストライサンドはいかつい顔なので、ラブストーリーは・・・と思ったのは事実だ。何せ相手がイケメンのロバートレッドフォードなのだから。

一方通行の愛と言うのだろうか、バーブラストライサンド扮するケイティの愛は見ていて確かに納得する。
もうこれは難しいなと言いう感じがあちこちに漂う。その辺りを非常に丁寧に描いている。
決して絶世の美女じゃないけど、いやそれだからだろうか・・・健気に真っ直ぐな愛情は観るものに感動を与えるのだろう。
失ったのは何だろう、失ってないのは何だろう・・・。見つめ合う表情があまりにもリアルで、流石に素晴らしいラストシーンだ。
噛むように話す言葉・・・、目と目でうなずく二人。そう、これは間違いもなくラブストーリーだ。

決して我がままで別れたのではない、ケイティの髪型はそれを物語っている。
こんな台詞を思い出した・・・「愛とは決して後悔しないこと」・・・ある愛の詩の名台詞だ。

でも、ケイティの瞳にはいっぱいの後悔が映っていた。



私はこの映画を見て「ひまわり」に似ているなとも思った。
いや、内容ではない。背景だ。
戦争が全ての人の心を支配してしまっていたあの頃。平和という目的は全て同じはずなのに・・・。
全ての方法は違ってしまった。
そんな全く考えの異なる者通しが愛し合ってしまった・・・。
彼女の正義感が自分の恋愛を潰していってしまう。

戦争はそれが終わった後も、影響を及ぼす。
そんな悲劇をこの映画は伝えているように思える。

そんな映画であった。


「追憶」

The Way We Were

Memories,
Light the corners of my mind
Misty water-colored memories
Of the way we were

Scattered pictures,
Of the smiles we left behind
Smiles we gave to one another
For the way we were

Can it be that it was all so simple then?
Or has time re-written every line?
If we had the chance to do it all again
Tell me, would we? Could we?

Memories,
May be beautiful and yet
What's too painful to remember
We simply choose to forget
So it's the laughter
We will remember
Whenever we remember...
The way we were...
The way we were...

 

想い出は、

私の心に灯をともすわ、

おぼろげな淡い水彩画のように彩られた記憶

それは私たちの想い出

 

片づけることもなく散らばったままの写真、

だけどそこには私たちの暮らしが映っている

その笑顔は二人だけのものだったの

二人だけの想い出

 

あの頃、どうして全てが思うようにできたの?

それとも、時の流れが全てを変えてしまったの?

もし、もう一度全てに戻りやり直すことが出来たなら

教えて、私たちは戻れるの?やり直せるの?

 

想い出は、

それは美しいものよね

でも思い出すには辛すぎるわ

忘れる方が簡単なのにね

だから、笑い声を聞くと

何時でもあの頃の私たちの楽しかった頃を

思い出してしまう

私たちのそんな思い出・・・

あの頃の二人の想い出・・・




出会いの会話はぎこちなく、ためらいが表情に出る。
「結婚したのか」と言う問いかけに、真実を告げられない女心がにじみ出る。
お互いを思いやる言葉・・・それが重い。
きっと未練を残さないために、彼は娘に会うことなく去ったはず。
娘のことを聞く彼・・・「美人に育ったわ・・・」「自慢の種よ」ぎこちなく笑顔で答えるケイティ。
確かめるように「旦那さんは優しいか・・・」と聞く。
なんとも辛いシーンである。言葉のないうなずきと見つめあう瞳。
全てを悟った彼は「いつか家に来て(娘と会って)」という言葉に
「いや・・・、それはできない」と言う。うなずくケイテイ・・・。

映画のラストシーンは主人公が元のビラ配りの現場に戻り何事もなかったように運動を続けるシーンで終わる。
エンデングのテロップがスクロールする中で、バーブラストライサンドの歌う「追憶」が流れる・・・。
そう、何事もなかったように・・・。そこにあるのは鉛色の冬の街角と喧騒。
それを打ち消すように「追憶」のメロデイが流れるのだ。
この印象的なエンディングで映画を見るものはその曲を心に焼き付けてしまうのだ。
故に一層空しさと切なさが増していく。



こういうエンデングを取らなかった場合はどうなるだろう。
選択肢はいろいろあったに違いない。



私が考えるエンデングはこうだ。

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ラストシシーンの俯瞰場面が徐々に暗くフェードアウトして、やがて急ぎ足で帰宅を急ぐケイティの後姿が徐々にフェードインする・・・。

向かっているのはアパートではない。

そこは決して大きくはないけれど、真っ白でお洒落な家。

結婚したのだろうか。それとも仕事に成功し家を手に入れたのだろうか・・・。

門の扉を開けた彼女は門を閉めるでもなく、せかされたように少し離れたドアへと足早に向かう

ドアの前で少しためらた彼女は、ドアを開けて家に飛び込んでいく。そう、まるで弾かれたように。

リビングで本を読んでいた彼女の娘「レイチェル」は、母の帰ってきたのに気付き立ち上がりドアの方に向かう・・・。

「レイチェル!」そう叫んでケイテイは娘のもとに駆け寄り、娘を抱きしめる。

ケイティの右手から、握りつぶされたビラがポトリと床に落ちる。原爆禁止のビラだ。

「レイチェル・・・、レイチェル・・・」

どうしたのお母さん・・・?。

青ざめる娘にただ「レイチェル・・・レイチェル」と彼女は繰り返すばかりであった。

再開の時に流した涙とは比べ物にならないほどの涙がケイテイの目からとめどもなく溢れ出た。

「お母さん・・・」

レイチェルは小さくつぶやいた。

抱きあう二人の姿が俯瞰になり、バーブラストライサンドの歌う「追憶」が流れる・・・。

そしてフェードアウトしエンデングとなる。

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まあ、こんな感じ・・・。
でも、このようなエンデングを選ぶことはなかった。
なんとも心に余韻を残す終わり方ではなかっただろうか。



失ったもの・・・、失わなかったもの。それは何だったのだろう・・・。彼女は自分の信念を曲げなかった。

そのため最愛の人を失ってしまう。握りつぶされたビラは彼女の気持ちを痛いほど表している。

このビラのように、自分の気持ちが握りつぶせるものだったらどんなに楽なことだろう。

女にとって幸せは贅沢なものなんかじゃない、ただそばにいてくれればいい。そんなケイテイの気持ちは誰もが共感することなのだろう。

しかして、戦争はどうだ。原爆はどうだ・・・。戦争も原爆もない、ありのままの平和・・・。

それはケイテイの望むささやかな幸せと全く同じことなのではなかったか。

平和を願うがために、自分の幸せが消えて行ってしまう・・・。

この切ない矛盾はいつの世も消えることがない。

そんな問題を問いかけた真摯なラブストーリー。切なくも悲しい物語である。





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