まかなれと言われて固まった    2020.3.29


私が生まれた所と、今住んでいる所は30キロ以上離れています。 山を越すので、昔はそんな距離でも真冬には4~5時間掛かりました。


子供のころ、夏休みや冬休みにはそちらの祖父母の家に行きました。  着くなり、まかなれ~まかなれ~と言うのです。

何年たっても同じで、着くたびにまかなれ~まかなれ~・・・(>_<)。 分からないので、固まってましたよ。


その意味が分かったのは、20年ぐらい後でした。 生れ地と育ち地は、全く違う言葉を話します。 大した距離でないのに、まるで違っているのでした。


まあ共通に使う言葉もあって、ごしゃがいるなどはそうですね。何かあると、ごしゃくなごしゃくなと言ってましたから。

ごんぼほりもそうですね。 えへるや、やじがね~なども共通でした。 うたて~、えふりたかれ~、うるがす、なども同じですね。


まなくがかい~なんて言います。 ほら、急がねばむぐすべ~何て・・・(^^♪。  まいね~はこちらでは使わないので、まいね~まいねと言われると

答えられなかったりします。 東北弁は東北地方共通の方言なので、大体どこでも通じます。 

しかし、秋田弁や青森弁津軽弁の中には特有のものもあり相互に通じないことも多いのです。 

青森地区と弘前地区は同じ県ですが、かなり距離もあります。 弘前では特有の津軽弁を話します。


一山超えると秋田県ですが、方言はやや異なります。 元々敵対してる国なので、文化の交流はなかった歴史があります。

当地区のお城は、弘前藩にやられたのではなくて盛岡藩軍の襲撃でした・・・(>_<)。 戊辰戦争の結果です。

因みに、大館城は弘前の方を向いて建っていたと思われます。 その前方には難所の矢立峠があり、そこを通らずに当地に兵は攻められません。

峠の麓には陣場があり、今も名残の駅があります。 城からはおよそ14キロ程です。 方や弘前側には、矢立峠の麓に関所が設けられました。

碇ヶ関がそうです。ここも、弘前城からは20キロとかなり離れています。
 

特有の方言が定着したのは、この様な背景があったからと思われます。 歴史的に青森県と岩手県は仲が悪く、その中間地である秋田県も

例外ではありません。 

このあたりが文化の線引きであり、方言の線引きにもなるようです。 そんな歴史的背景もあり、青森県と秋田県は仲がよろしいとは言い難い。

どっちも譲らずおらがおらがの風土なのだけれど、青森県の津軽地方ははじょっぱりと言う程我が強く、どちらかと言えば秋田県は押されがち。


観光名所の十和田湖も例外ではなく、県界はずーっと決まってなくて境界が決まったのは2008年と最近のことです。

半分は青森県半分は秋田県でどちらも十和田湖はおらが湖と譲らなかったことによる。 現在は青森県側=十和田市、秋田県側=小坂町

となっています。

かの有名な白神山地もそうで両県にまたがるが、こちらは地形上の点で青森県側が秋田県側より優を得ています。


弘前城を知らない人は少ないと思いますが、実はこの弘前城は石高に比べて非常に大きいのです。 当時から弘前は立派な寺社町であり、

辺境の地でありながら歴史的な建造物は非常に多く存在します。 これこそ、津軽のじょっぱりの成せる業と言えるでしょう。


津軽、特に弘前と言えば真っ先に浮かぶのがリンゴです。 城は食えないけど、リンゴは実に豊富で種類も多いのです。

都会にあるリンゴとは、全く風味が違います。 くそっ、これだけは青森県には負けるだ・・・(-_-;)。


ワタシが幼少の頃、夏になるとお祭りに山車が作られてそれを引っ張らされた記憶があります。

今思えば、その山車の上に乗っている行灯は扇でした。 それは普通でしたので何の疑問も抱きませんでしたが、元は弘前のねぷた

であったと思われます。 

我が生まれ故郷は、まかなれ~が普通に飛び交う青森の影響の多い街なのでした。

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