社会に同化するための、止むを得ない言動

聴覚障がい者は見えない障害だと述べてきました。それでは、実際にどんな弊害があるのでしょうか。

私は現在仕事をしていませんが、仕事をしている場合や学校の生徒だとどんな弊害が生じるのでしょうか。
それは、日常の生活で毎日のように繰り返す事に現れます。

聴覚障がいには二種類の障害があって、一つは音を大きくすれば正常に聞こえる「伝音性難聴」と、音を大きくしても言葉が理解できない
「感音性難聴」があります。またそれらの「混合性難聴」もあります。私は「混合性難聴」です。

伝音性難聴は、音さえ大きければ問題ないので社会生活では補聴器さえしていればほぼ問題はありません。しかし、感音性難聴や混合性難聴は
全く異なります。どんなに音を大きくしても、何度繰り返しても、言葉を理解することが出来ないのです。問題なのは、全てが理解できないのではなく、
予期せぬ言葉が入った時に理解不能になるのです。
専門用語では、語彙認知度と言いい基準の言葉が何パーセント合致(理解)したかを
数値で調べます。私は45パーセント(70デシベル)の右耳で、0パーセント(105デシベル)の左耳でと言うのが数値です。
右耳の場合、高性能な補聴器だと75パーセント近くまで上がりますが、それでも理解は困難です。

下の分を読んでください。
ネットから引用致しました。

こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。
この ぶんょしう は いりぎす の ケンブリッジ大学の・・・


どうでしょう読めたのではないでしょうか。文章の最初の文字と最後の文字を認識すれば、脳が読める様に解釈をするとの研究です。
つまり、聴覚障がい者は常にこれと同じ事をしています。ですから、日常使われる言葉は瞬時に先読みし理解出来るようにするのです。
しかし、予期せぬ言葉は置き換えること(先読み)が出来ず理解できないため困惑してしまいます。
分からない、聞こえないと言っても「聞こえてるじゃん」といぶかしがられてしまうのです。えっと聞き返したら、間違いなくその言葉は理解できていません。ですから、何度も聞きますが音(声)は普通の大きさで入っても言葉としては理解できません。仏の顔も三度までで、それ以上聞くと
「もういいっ」と言う事になります。つまり、相手にされなくなるのです。聞こえてるのにさ、頓珍漢な返事するんだよと言うレッテルを貼られる訳です。
これは、家庭内でも変わることはありません。

それで、ほとんどの人は理解出来ていないのに意味も無くうなずいて聞こえた様に装うのです。
そうしなければ先に進みません。人間関係も崩れます。親身になってくれる程、世間は甘くありません。これは間違っていることなのですが、
生きていくための自衛手段なのです。耳の聞こえの悪い人には、しゃべった事の二割しか伝わっていない事を知ってください。
残りの二割は何度も何度も推測して補いますが、残りの六割は理解不能伝わっていないのです。

身体障害者と認定され、手帳でも持っていれば認知の度合いは異なります。しかし、治療中の人やそこまで行かないには理解が及ぶ事はありません。

何度も言いますが、聞こえた振りをするのは本意ではありません。もし、「もういい」と言う態度を取られずに、親身に話しかけてくれたなら
ずっとずっと状況は変わって行くはずです。

そのような人が身近に、会社に学校に居たなら、どうか親身に話しかけてやってください。そして一枚の紙に大事な事を書き留めて渡してください。
残りの六割を補うのは、あなた達の真心です。

そう信じます。


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