クラシック音楽至上主義とオーディオの柔軟性

クラシック音楽至上主義

大変に厄介な主張がある。クラシック音楽至上主義。これはクラシック音楽の楽譜至上主義と同じである。
クラシック音楽愛好者は、クラシック音楽のみを音楽だと断定する傾向があるようだ。
クラシック音楽は難解で取り付きにくく、それが為に理解したものは特別な優越感を持つに至のだろう。

しかしよくよく考えてみれば、それは物の少ない時代の音楽の表現方法に固執しているだけに過ぎないとも言える。100年以上前の流行歌というだけに過ぎない。
それは七面倒臭いSP盤のレコードを聴く儀式をこなして音を出すことや、乾板式の写真機を使い暗室に入って写真を仕上げて、
ほれどうだと言ってるのとたいして変わらない。
時代が変われば何でも簡単にできるようになるのだ。伝統だの格式だの、作曲者に対する儀礼だの・・・
まあ言いたいのは解らないでもないが。
時代は確実に変わるのだ。クラシック音楽は時代の流れの一時期にしか過ぎない事を知るべきだろう。
いま流行りの音楽も、あと100年もすればクラシック音楽となってしまう事を考えねば・・・。

そういう観点から見てrも、イージーリスニングはすでに50年を超えて70年近くになろうとしているではないか。
バッハの時代もモーツアルトの時代も、ポールモーリアの時代も変わりはしない。
まして、作られた音楽の重みだって少しも変りはしない。
先人は彼らに大きな影響を与えたが、イージーリスニングの大御所や他のアーチストだって
これからの人間には大きな影響を与えることは間違いないのだから。

ただにひとつのジャンル、それだけなのだ。

オーディオの柔軟性アンプは何故に重いのか

これはオーディオにおいても同じような現象がある。
お金をかけて立派なシステムを組まないと「まし」な音がしない。それである。
じつは6千円のラジカセでもいい音はするのである。量が少ないだけ。音楽の再生は少しも困らないのだ。
されど音の再生と「質」は別の物。残念なことに、音の質は投資に比例するのも真実だ。
しかし、音の質は測定器では測れない。それは以下に述べる数値至上主義者に明白。

いまオーディオはハイレゾに向かっている。
人間の可聴帯域は20hz~20000hz。年齢と共に高域は聞こえなくなり、60歳なら10000hzでも不思議ではない。
ハイレゾは50000hzも再生可能だ。それで今は大変なことになっている。押しなべて高域を拡張しようとしているのだ。
CD音源に疑似倍音を付加して、高域を拡張することも何気にできるのだ。

オーディオは何を変えても音が変わる。デジタルでも変わる。
ところが絶対に信じない人間も存在する。それはおもに電気系・物理系の人間だ。
数値絶対主義なのだ。測定器のデータだけが全てで他は信用しない傾向があるのだ。

じつはこの測定器が問題なのだ。これについては割愛するが、人間の感覚は非常に鮮鋭でしかも柔軟な
ものっであることを彼らはなかなか認めない。

それがために随分とオーディオは遅れてしまった。
人間の可聴帯域を信じたために・・・、数十年はオーディオの進歩が遅れたと言っていいだろう。

その一例が某世界的有名メーカーに見ることができる。彼らは数値至上主義で、その機器の周波数特性は
どこのメーカーよりも優れていた。しかし、なぜか音が弱いのだ。薄いと言っていい。

一般に、信号はそのままの状態で増幅する必要がある。そのためには、真っ直ぐな特性を持つアンプが必要である。
だから、周波数偏差はプラスマイナスゼロに近ければ近いほどに良い。出力波形は角が取れないほどが良い。
しかし、実際はそうにならず「暴れる」。可聴帯域20hzから20000hzまでは兎に角平坦にする。まあ、もう少し伸ばしてみようとする。
部品はコストもあるから、測定器で数値と見比べて決定する。特性グラフ上は合格に見える。
しかし、市販してみると評判がイマイチとなる。数値では他社を凌いでるのになぜだ・・・。となる。

このメーカーはトランスにこだわることはせず、アンプとしては価格の割に軽かったのだ。
私は危惧していた。同様にオープンリールデッキも普及価格帯の物は有名他社に比べ軽かった。
音はこのメーカー固有のやや癖のあるものであった。最上機種もやはり他社のものには音質で及ばなかった。

そう、理由は部品である。トランスの大きさ、コンデサー、モーーターなど。軽いものは軽いだけの音しかしなかったのである。
コンデンサーひとつ、抵抗ひとつでもつくりには相当な差がある。トランスに至ってはなおさらだ。
測定器の周波数特性グラフには出ないものもあるのだろう。設計屋は部品屋ではない。トランス屋でもない。音楽家でもない。
そこに大きな問題が隠れていたのだ。オーデイオは総合的な製品であることを忘れていたのだ。
そして何よりも、オーディオの愛好家の事を。アンプ作りのスピーカー知らず。の感かも知れない。

このメーカーの偉い所は、間違いを直す力である。以後の製品はたいそうに重くなった。
1979から1982までの15機種平均5.2Kg高級機ですら7Kg、1983年からは普及機で11Kg高級機で17~19Kg、
1986年以降はシャーシ改良で普及機で13~14Kgとなっている。高級機でも24~26Kg。その後コストからかシャーシをやめ
1999年までは普及機で10~11Kg。2000年以降は普及機から撤退の模様。これはオーディオの衰退と同時だろう。

当時のオーディオはトリオ・パイオニア・山水・オンキョーであり、これらの三社をオーディオ御三家と呼んでいた。
トリオはないが高級アンプのアキュフェーズの元会社であり、オープンリールデッキで名をはせたTEACは、高級ブランド
エソテリックを展開している。パイオニアはオンキョーに譲渡されAV分野で活躍、TADの高級ブランドを生み出している。
オンキョーは、久々に30年の伝統を誇るブックシェルフスピーカーの新作D-77NEを発売。
山水電気はデジタルの波に乗れず2014年破産している。
山水は100種類近いアンプを世に送り出した偉大なメーカーであった。
トランスメーカーだけに、アンプは他社と比較して明らかに重く、重低音に趣のあるサウンドであった。
ちなみに1979年142000円の山水のアンプ重量は21Kg。前述のメーカーのアンプ重量は1981年発売130000円で7Kgであった。
3倍も開きがある。

トランスは磁界を発するので、小型にして影響を減らそうする考えもあるだろうが、大型でなければ大きな電流は扱えないのも
事実である。コンデンサーも当然大型になる。シャーシ幅には限界があるので、シャーシを厚くすると重くなりコストがかかる。
それに輸送は大変だ。しかして、何故に頑丈にするのだろうか・・・。それを考えるのはやはり使うものの立場だろう。
テレビカメラなどがダイキャストを使用すこぶる頑丈に造られている。プロ用は頑丈でなければ使えない。
ここに誤解が生じる。オーディオは素人が音楽を聴くための物じゃないかと・・・。
信号を正しく伝送するにはどうしたらいいのだろうか、それが先ず欠けていると手抜きになる。プロの世界で守るのは機材だが、
オーディオの世界で守るのは「信号」、ただそれだけなのだ。
その誤解やら認識の甘さである。それが製品に現れていたのだ。当然厳しいオーディオの愛好家は見逃さない。


ちなみにオーディオブームとは今から35年前の1980年代を言う。ハイレゾの今は第2次オーディオブームとも言えよう。

それは近年発表のアンプにも引き継がれている。スリムだが当時のような軽さはない。そして、スピーカーもいいもの出すように
なったのだ。絶対に最初には買わないが、3本目には買いたいスピーカーがある。これは驚きだ。


この重量重視は、スピーカー界でも進行してきている。スピーカーも重さなのだ。
六畳オーディオを組むにあたり、アンプとCDプレーヤーはどれにするか悩んだ。何十年も離れていたからである。
DEONは日本コロムビア、眼中になかった。レコードとカートリッジ位にしか考えてなかったのだ。
アンプを見て驚いた。音を聴いてびっくり、なんとアンプは30キロ近くもした。
DENONが愚直なメーカーだ。何と、そのアンプは回路こそ違うが1980年発売のMPMA970以来、何十年も続いている伝統なのだ。
基本を守り時代の流れに乗れば、メーカーは生きられるのだ。

デジタルは0と1だけなのだから、ケーブルを変えても特性に影響しないと彼らは言い切る。
それは単純な信号の話。複雑な音声信号をデジタル化して、わずかなビット抜けがあっても再生は可能。
映像なら瞬間の歪みとなるだろうし、捉えてもそれが致命的になる訳ではない。オーデイオも同様。
誤差の差は人間は感覚で捉えることができてしまうのだ。デジタルをダビング繰り返すとデータの欠落は
必ずあると私は思うが・・・。デジタルにこそ防御は必要だろうと考える。

音波は波形伝送であり、直後に人間に届く。これまでは耳だけで音を聴いてると考えられていた。
しかし、骨でも音は聞いているし皮膚でも振動は感じている、つまり聴いている。
ハイレゾの時代、デジタル技術やパソコンを駆使しなければ今や製品は開発できない。
しかしながら、最後に仕上げるのは人間の聴覚テストなのだ。機械ではない。


針金のように細いスピーカーケーブルでも音は出る。しかし、ケーブルで音が変わるのも事実なのだ。

それもまた検証しなくては・・・。


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