きっかけは引き金となる 2002/2

TOKYO が本格的に写真を撮りだしたのは、7〜8年位前。それまではビデオカメラ一辺倒でした。
ある日突然にカメラ派へと復帰しました・・・。

それはあるフイルムとの衝撃的な出会い。富士フイルムのベルビアとの出会いだったのです。

10年もカメラの世界から遠ざかっていたTOKYOが、ふと手にした朝日カメラの雑誌・・・。
パラパラめくっていたTOKYOは目を疑いました。それは紅葉の写真て゜した・・・。
アマチュアのコンテストのページ。
それはあまりにも鮮やかで、鮮烈で・・・。
フイルムはベルビアと記されていました・・・。
まさに、千載一隅のフイルムとの出会いでした。
TOKYOは、中学の頃から写真が好きで父親のカメラを弄繰り回していましたが、
国産のフイルムには随分不満を抱いていました。当時の憧れはコダック。
コダクロームやエクタクロームを
取り寄せて使っていたのです。コダックのフイルムは黄色は出るが赤が弱いし・・・。
コダクロームは白も赤もこくのあるすばらしい発色をしますが、
なにせ田舎のこと現像して届くまでひと月もまたなくてはならないのです。
国産との差は相当ありましたね。色は出ないものとあきらめてしまっていたのです。

長い月日は国産の壁を駆逐しました・・・。
まさに世界に誇るリバーサルフイルム「ベルビア」の誕生です。
TOKYOのベルビアデビューは前述の通り7〜8年前。カメラはマミヤRZプロフェッショナル。

しかし、今は全くベルビアを使うことはありません。
フイルム及びプリントを自家処理しているのが第一の理由。
もうひとつは路地裏のスナップを撮るようになったからです。
辻斬り撮影法には感度が低く過ぎたのです。
それに、ベルビアは日陰が青くかぶるので実用にならないのです。
もうひとつ、コントラストが強すぎて、明暗の差がある場所を好んで撮るTOKYOには、
影がつぶれて使い物にならないのです・・・。

しかし、ベルビアは今でもリバーサルの「雄」といえるでしょう。
なぜならば、わたしたち。そう、わたしたちが今手にしているデジタルカメラの映像・・・。
それこそが「ベルビア」に非常に近い画質なのですから・・・。

あの難しいベルビアの発色が、誰にでも味わうことができるようになったのです。

TOKYOのホームページ掲載の写真は、色々なフイルムによって撮影されています。
見た目の派手な料理ではなく、目に優しい味のある写真・・・。
そういう観点で撮影されています。

TOKYOは写真作家です。カメラは道具、フイルムはキャンバスです。

画家を目指したTOKYOは
レンズを通して
心に夢を描き続けます。

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つづく